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鹿児島地方裁判所 平成元年(わ)184号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

(公訴事実)

本件公訴事実は、

「被告人は、平成元年四月二三日の午後三時五〇分ころ、鹿児島県西之表市〈住所省略〉旧ペンション甲野敷地内及び同敷地前路上において、防犯警戒及び巡回連絡中の鹿児島県種子島警察署西之表派出所勤務乙山太郎巡査部長から巡回連絡を受けたことなどに憤慨し、同敷地内にあった角材を把持し、続いて木製モップを二つに叩き割りその先のとがった一片を右手に持って振り上げながら『おまえをやってやるぞ』等と怒鳴り、同巡査部長の身体に危害を加えるような気勢を示して脅迫し、さらに同巡査部長の胸部を左手で二回押したのち,こぶし大の石を同巡査部長をめがけて投げつけるなどの暴行を加え、もって同巡査部長の職務の執行を妨害したものである。」というのである。

(当裁判所の判断)

一  被告人が公務執行妨害罪で逮捕されるまでの経緯について

現行犯人逮捕手続書によれば、被告人は、平成元年四月二三日午後三時五〇分ころ、西之表市〈住所省略〉所在の旧ペンション「甲野」敷地内において、巡回連絡に立ち寄った種子島警察署所属の巡査部長乙山太郎に対し、暴行を加えてその職務の執行を妨害したとの容疑で同巡査部長によって現行犯逮捕されたことが認められるが、右逮捕に至るまでの経緯については、被告人と乙山巡査部長との供述が食い違っているので先ず両名の供述内容を検討し、その信用性につき判断したうえで事実を認定することとする。

1  乙山巡査部長の供述内容

乙山巡査部長の当公判廷における供述及び同人作成の申立書並びに検察官に対する供述調書によれば、同巡査部長は被告人を公務執行妨害罪で逮捕するに至った経緯については概ね次のように供述している。

(1) 平成元年四月二二日午前四時ころ、被告人が西之表派出所に傘をもってやってきて「何故パトカーで俺の家の前ばかり通るのか、目障りで仕方がない。もう通らないようにしてくれ。」などと申立ててきたので、被告人に対しパトロールの意味等を説明したが被告人は納得せず、椅子に座ったまま帰ろうとしなかった。

そこで、同僚と一緒に被告人を派出所の外に押し出すと、被告人は傘を右手に持って振り上げ私達にかかってきたため、私達はその傘を取り上げようとしたところ、柄の部分から折れてしまった。被告人は、更に怒って捨てぜりふを吐きながら帰っていった。

(2) 翌二三日は日勤で午前八時三〇分定時就勤したが、午前中の警ら勤務等を終え午後一時三五分ころから西之表派出所管内の納曽部落へ巡回連絡に出発した。

同部落内の西之表××番地所在のA方を始めとして合計二四戸の巡回連絡を終え、〈住所省略〉所在の旧ペンション「甲野」に赴いた。同ペンションは、前年末に訪れた際には家人不在で廃業状態であり、その後建物の窓ガラスが割られていたため第三者の不法侵入の有無を確認し管理人が在室しておれば防犯指導を行う目的で同建物の北側から声をかける等していたところ、同建物の南側から被告人が出てきて「何か」と言うので、以前窓ガラスが割られていたことや巡回連絡の趣旨等を説明した。ところが、被告人は、「誰が居ようとお前の知ったことか、余計なことだ。お前は派出所の者だな、警察は来なくていい。」などと語気荒く怒鳴りちらした。これに対し、私は再度巡回連絡の意味等を説明したが被告人は納得せずに怒鳴り続けたので、被告人に「いつでも警察に来れば説明するから」と述べて次の家を回るべく同建物の敷地内から出ようとしたところ、いきなり被告人が地面にあった角材を右手に持って「やってやる。」と怒号しながら私に向かってきた。

(3) これを見た私は「止めろ」と警告すると、被告人は角材をその場に投げ捨てたが引き続き危害を加えられるおそれがあったため、私は被告人を注視しながら敷地北側から道路に出た。すると被告人は、建物北側にあった木製モップの柄をコンクリート地面に叩きつけて二つに折り、先の尖った方を先端にしてこれを右手に持って振り上げ、「何か、この野郎」と言って私に向かってきた。そこで、私は身の危険を感じたので手にしていた巡回連絡簿を付近の土手に投げ置き、所携の拳銃を取り出し、銃身に巻いていた塩害防止用の布を取り外してこれを右手に持ち、すぐにホルスターに入れた。被告人は、なおもモップを持って私に向かってきたので、私は所携の特殊警棒を取り出して右手に持って身構え、「お前が私をその棒で叩いたりすれば、公務執行妨害罪で逮捕する。」と警告すると、被告人は振り上げていたモップ棒を降ろして「何か、お前は。」などと怒号しながら左手で私の胸を突いてきた。そのため私は警棒を被告人の右肩に突きつけ、再び同様の警告をしたところ、被告人は振り返って建物の北側出入口へと後退し、コンクリートの地面をモップ棒で叩きながら「この馬鹿野郎」などと叫んでこれを木戸口西側の雑木の繁った場所に投げ捨てた。

(4) 私は、被告人の動静を注視しながら半身の姿勢で下がっていたが、被告人がなおも「馬鹿野郎」と怒鳴るので、「馬鹿野郎とは何だ。」と怒鳴り返した。すると被告人は、近くにあったこぶし大の石を手に持ち私に向けて投げてきた。私は体を左にかわして石を避けたため、石は体に当たらなかったが、被告人の行為はそれまでの行為を含めて公務執行妨害罪に該当すると考え「お前は私に石を投げつけたな。公務執行妨害罪で逮捕する。」と述べて逃げる被告人を追いかけ、抵抗する被告人に手錠をかけて逮捕した。

以上が被告人逮捕に至るまでの乙山巡査部長の供述の概要である。

2  被告人の供述内容

被告人の当公判廷における供述並びに被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書によれば、被告人は本件逮捕に至るまでの経緯につき概ね次のとおり供述している。

(1) 平成元年四月二二日午前一時ころ、私が鴨女町の自宅で洗濯をしていたらパトカーが私の家の前を一〇分おき位に通ったので、警察に監視されていると思って警察署に電話して抗議したが、電話に出た人の説明に納得できなかったため、同日午前四時前ころ歩いて西之表派出所に赴いた。同派出所内は当初不在だったが、二度目に行くと同派出所に乙山巡査部長と一名の警察官がいたので、自宅の前を何度もパトカーで通らないよう抗議した。これに対し、乙山巡査部長は市内を隅々まで巡回するためには何度も同じ場所を通ることがある旨説明したが納得できなかったため私は当初の抗議を繰り返した。そうこうするうち、乙山巡査部長から帰るように言われたが、私は椅子に座ったまま動かなかった。すると、乙山巡査部長ともう一名の警察官は、私の背中を押して私を派出所の外に出した。私は腹の虫がおさまらなかったので、手に持っていた傘を乙山巡査部長に振り上げたところ、乙山巡査部長は傘の柄の部分を掴んだ。二人で傘を引っ張り合ううち傘の柄の部分が折れてしまったので、私は乙山巡査部長に対し後に警察署に行く旨述べて自宅へ歩いて帰った。

(2) 翌二三日午後三時三〇分ころ、私がペンション「甲野」の自室でビデオをみていたら乙山巡査部長がやってきて、以前に同ペンションの窓ガラスが割れていたのでそれを見に来たなどと話したが、私は前日のいきさつから警察に良い感情を抱いていなかったこともあって同巡査部長に対し「警察は来なくていい、帰ってくれ。」と言って早く帰るよう告げたため、同巡査部長と言い争いになった。その後、同巡査部長は、馬鹿と話をしても駄目だと言って、右手を頭の上に持っていって結んだ拳を上に向けて何度も開きながら歩いていった。これを見て、私は馬鹿にされたと思い、花壇にあった角材を拾って右手に持ち、乙山巡査部長に向けて振り上げたものの、重かったので元あった場所に放り投げた。

(3)すると、乙山巡査部長は敷地の外に出て私を手招きしたので、私は駐車場の奥に置いてあったモップを取りにいってこれを地面に叩きつけて二つに割ったうえで手に持ち、同巡査部長に近寄っていった。そして私は、同巡査部長に対し「何か文句があるか。」と言ってその胸を押したが、それと同時に同巡査部長は、拳銃を私のこめかみに四、五秒間当てた。私は「撃つなら撃ってみろ」と言ったところ、同巡査部長は拳銃をすぐにしまい、警棒を出して私の肩に突き当てた。これに対し、私は何も抵抗せずにいたため、同巡査部長は、押さえつけた警棒を離して「これ以上手向かうと逮捕するぞ、あっちへ行け。」と告げた。私は右手に持ったモップの柄を地面に叩きつけながらペンション北側の駐車場の方へ歩いて行ったが、同巡査部長は片手を挙げて再度「くるくるぱー」の恰好をしたので私はかっとなり、付近の木の植え込みの所にあったこぶし大の石を拾って同巡査部長に投げつけた。

(4) 私が投げた石は同巡査部長には当たらなかったが、同巡査部長はすぐに私を追いかけてきて「公務執行妨害で逮捕する」と言って逃げる私をねじ伏せたうえ手錠をかけて逮捕した。

以上が被告人の供述の概要である。

3  両当事者の供述内容の検討

乙山巡査部長及び被告人の供述のうち、平成元年四月二二日の午前四時ころ被告人が西之表派出所に赴き、被告人の自宅前を何度もパトカーで通らないよう抗議したこと、被告人が同派出所をいつまでも去らなかったため、乙山巡査部長外一名の警察官との間でいさかいが生じ、その際、被告人が振り上げた傘が折れたこと等の経緯については、両当事者の間の供述内容がほぼ一致しているので、この点に関しては両当事者の供述の信用性は高いものと認められ、概ね両供述どおりの事実の存在を認めることができる。

しかしながら、翌二三日午後に乙山巡査部長がペンション「甲野」を訪れ、被告人との間で争いが生じ、同巡査部長が被告人を公務執行妨害罪で逮捕するに至った経緯については、両当事者間の供述が重要な部分で食い違っているので、以下順次検討を加えることとする。

(1) 被告人が角材を手にするまでの状況について

乙山巡査部長が平成元年四月二三日午後三時三〇分ころ、巡回連絡の途中でペンション「甲野」を訪れ、被告人に対し巡回連絡の趣旨や以前同ペンションの窓ガラスが割れていたこと等を説明したところ、被告人は、前日のいきさつもあって「警察はこなくていい。帰ってくれ」などと怒鳴り同巡査部長に対し拒絶的な態度を示したことは両当事者の供述がほぼ一致しているので、当該事実をそのまま認定することができるが、その後の状況につき同巡査部長は「再度巡回連絡の意味等を説明したが被告人は納得せずに怒鳴り続けたので、被告人に『いつでも警察に来れば説明するから』と述べて次の家を回るべく同建物の敷地内から出ようとしたところ、いきなり被告人が地面にあった角材を右手に持って『やってやる。』と怒号しながら私に向かってきた。」と述べるのに対し、被告人は「同巡査部長と言い争いになった。その後、同巡査部長は馬鹿と話をしても駄目だと言って、右手を頭の上に持っていって結んだ拳を上に向けて何度も開きながら歩いていった。これを見て、私は馬鹿にされたと思い、花壇にあった角材を拾って右手に持ち、乙山巡査部長に向けて振り上げた……」と述べている。

乙山巡査部長の右供述によれば、被告人は同巡査部長が単に「いつでも警察に来れば説明するから」と述べてその場を去ろうとしたところ、いきなり角材を拾って同巡査部長に向かっていったことになるが、被告人は同巡査部長が突然訪れたことに対し反感を抱き、「警察は来なくていい。帰ってくれ。」と述べて同巡査部長に対し拒絶的な態度を示したことは前記認定のとおりであるとしても、それ以上に進んで危害を加える姿勢を示したことまでは認められないから、被告人の言うとおりその場を辞去しようとした同巡査部長に対し、いきなり角材を持って向かってきたとする同巡査部長の供述は余りに不自然であるとの感を払拭しえないものである。

これに対し、被告人の供述によれば、被告人は同巡査部長と言い争いになり、同巡査部長から「馬鹿と話をしても駄目だ」と言われたうえ、右手を頭の上に挙げて開く、いわゆる「くるくるぱー」の恰好をされたため馬鹿にされたと思い、角材を手にしたというものであり、被告人が角材を手にする動機としては十分に首肯しうるものであって、その間に不自然、不合理な点も認められないので、この点に関する被告人の供述は信用するに足りるものである。

したがって、被告人が角材を手にする前の状況については、被告人の供述どおりの事実を認定するのが相当である。

(2) 被告人がモップを手にして乙山巡査部長に近づいた時の状況について

被告人が角材を捨ててからモップを手にしてこれを地面に叩きつけて二つに割り再び乙山巡査部長に向かっていったこと、これを見た同巡査部長が所携の拳銃を取り出してこれを右手に持ったこと、被告人が同巡査部長に近づいて怒鳴りながら胸を押したこと、同巡査部長が警棒を取り出して被告人の肩に当て被告人に対し手向かうと逮捕する旨告げたところ、被告人は手にしていたモップを地面に叩きつけながらペンションの方へ戻ったことについては、両当事者の供述がほぼ一致しているので、これらの事実についてはその存在をそのまま認定することができる。

しかしながら、被告人が角材を捨ててからモップを手にするまでの状況につき乙山巡査部長は、被告人が自分の「止めろ」との警告により角材をその場に投げ捨てた後、自分が敷地北側から道路に出たところ、被告人がモップを手にして向かってきたと述べるのに対し、被告人は、振り上げた角材が重かったので元あった場所に放り投げたところ、乙山巡査部長が敷地の外に出て手招きしたのでモップを手にして向かっていった旨述べており、また、乙山巡査部長は一旦手に持った拳銃をすぐにホルスターに戻したと述べるのに対し、被告人は同巡査部長が拳銃を被告人のこめかみに四、五秒当てたと述べていてその供述が食い違っている。

乙山巡査部長の右供述によれば、被告人は、同巡査部長の「止めろ」との警告に従って一旦手にした角材をその場に投げ捨てたにもかかわらず、更にモップを手にして向かっていったことになり、その行動に矛盾が生ずるのに対し、被告人の供述は、重い角材を離した後に既に敷地外に出ようとしていた乙山巡査部長が被告人を手招きしたので、更にモップを手にして向かっていったというもので、角材からモップへと移行した被告人の行動に同巡査部長の「手招き」という行為が介在したことを明らかにしている。ただ、被告人は一旦振り上げた角材が「重かった」ので元あった場所に放り投げた旨供述していることを勘案すれば、同巡査部長の「手招き」という行為が無かったとしても、同巡査部長に対する攻撃行為を継続したとも考えられるので、仮に同巡査部長が「手招き」をしたとしても、これが被告人の攻撃的な行為を継続させた原因とまでは解し得ない。しかしながら、乙山巡査部長が被告人から離れ、敷地北側から既に道路に出ていたにもかかわらず、被告人が興奮して同巡査部長に対する攻撃的な行為を継続しているのは、そこに被告人を刺激するような同巡査部長の何らかの所為が存在したことを窺わせるものであるから、同巡査部長において、「手招き」又はそれに類似するような行為があったと認定するのが相当である。

次に、乙山巡査部長が被告人のこめかみに拳銃を当てたか否かにつき判断する。

乙山巡査部長は、被告人がモップを手にして向かってくるのを見て身の危険を感じ、手にしていた巡回連絡簿を土手に投げ置き、所携の拳銃を取り出し、銃身に巻いていた塩害防止用の布を取り外してこれを右手に持ち、すぐにホルスターに入れた旨述べるが、なるほど同巡査部長の右の行為は拳銃を使用しなければならないような緊急事態に備え、いつでもこれを使用しうるよう準備する行為と解釈できるものの、被告人がモップを手にして近づいてくる状況すなわち危険がまさに切迫しつつある状況のもとで一旦手にした拳銃をすぐにホルスターに戻すことは、拳銃使用の必要性を判断した者の行為としては、そこに矛盾があるというべきである。被告人がモップを手にして向かってくること自体、拳銃をもって対応すべき緊急な事態と解しうるのであるから(同巡査部長は、当公判廷において、その時の状況につき被告人がものすごい剣幕であり、本当にモップで突いてくると思った旨供述している。)、一旦これに備えて拳銃を取り出した者が当該危険な状況が消滅したのならまだしも、被告人の接近によってこれがますます増大する状況のもとで、拳銃を元に戻すことは通常考え難いところである。したがって、この点に関する乙山巡査部長の供述はたやすく信用できないものである。

検察官は、被告人が取調べの過程において拳銃を突きつけられたことを供述していないこと、また、被告人は未決勾留中に同房の者に拳銃を突きつけられたことを話した旨述べるが、当時同房であったB証人は被告人から当該拳銃の話を聞いていない旨供述していること、拳銃の実砲は黄銅色であるにもかかわらず、被告人はこれを銀色であったと供述していること等の理由から、被告人の拳銃を突きつけられた旨の供述は虚偽の疑いがあると主張するが、被告人は当公判廷において、拳銃を突きつけられたことは取調べ警察官に述べたが、とりあって貰えなかったと述べており、検察官に対しては拳銃の件を全く述べていないのも警察官に取り上げて貰えなかったからとも考えられること、B証人は、当公判廷において当初は拳銃の件を被告人から聞いたことはない旨供述していたが、その後「聞いたような気もする」と述べるに至っていること、被告人は目にした拳銃の実砲を銀色であったと述べているが、回転式弾倉に装填されている実砲は拳銃の正面からはその先端部分しか見えず、かつ、被告人が目にしたのはほんの数秒であることから被告人がその色を間違った可能性も否定できないこと等を考慮すれば、検察官主張の前記の各点は必ずしも被告人の供述が虚偽であることを疑わしめる根拠とはなし難い。

以上に加え、被告人が私選の弁護人を選任したにもかかわらず、第一回公判期日における罪状認否においても公訴事実をそのまま認める供述をして拳銃の件に全く触れていないことを勘案した場合、被告人が殊更乙山巡査部長から拳銃を突きつけられたとの事実を捏造して述べたとは解しえないところである。

したがって、拳銃をこめかみに四、五秒当てられたとの被告人の供述はその信用性が高いものとして当該事実をそのまま認定すべきものである。

(3) 被告人が乙山巡査部長に対して石を投げるまでの状況について

乙山巡査部長が警棒を取り出して被告人の肩に当て被告人に対し手向かうと逮捕する旨告げたところ、被告人は手にしていたモップを地面に叩きつけながらペンションの方へ戻ったことについては、前記認定のとおりである。

しかしながら、その後の状況につき乙山巡査部長は、「被告人の動静を注視しながら半身の姿勢で下がっていたが、被告人がなおも『馬鹿野郎』と怒鳴るので、『馬鹿野郎とは何だ。』と怒鳴り返した。すると被告人は、近くにあったこぶし大の石を手に持ち私に投げてきた。」と述べるのに対し、被告人は、「私は右手に持ったモップの柄を地面に叩きつけながらペンション北側の駐車場の方へ歩いて行ったが、同巡査部長は片手を挙げて再度『くるくるぱー』の恰好をしたので私はかっとなり、付近の木の植え込みの所にあったこぶし大の石を拾って同巡査部長に投げつけた。」と述べ、その供述に食い違いが生じている。

乙山巡査部長の右供述は、被告人逮捕の翌日に同巡査部長によって作成された申立書(検二号)には全く記載がないが(同申立書には、被告人がいきなり石をなげてきたとある。)、同人の検察官に対する供述調書の中に認められるものであり、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の中にも「乙山巡査部長が私を馬鹿にしたような気がしたので石を投げた」旨の供述があって、一見、両名の供述が一致しているかに見えるものである。しかし、乙山巡査部長の供述どおりの事実(馬鹿野郎と怒鳴り返した事実)があり、これが投石の直接の原因となったのであれば、被告人自身そのことを記憶していない道理はなく、また、被告人の捜査段階における供述のように単に「馬鹿にされたような気がした」だけで投石に及んだと解するのは、被告人が比較的粗暴な性格を有していることを考慮に入れてもなお、不自然であるとの思いを拭いきれないものである。一方、被告人は、当公判廷において、被告人が投石する直前の乙山巡査部長の行為につき前記の供述をなし、同巡査部長も当公判廷において、被告人に対し右手を挙げたことはこれを認めている。ただ、同巡査部長は、それは「また来ますから」という意味であったと供述し、被告人が主張するような意味はなかった旨述べている。しかし、被告人の攻撃的な行為によって拳銃や警棒まで取り出すような険悪な状況が生じた直後に、同巡査部長が「また来ますから」という意味で右手を挙げたとは到底考えられず、興奮の冷めやらない状況のもとで、同巡査部長が被告人の述べるような行為に出たと考えるのが自然である。したがって、被告人が投石したのは、乙山巡査部長が右手を挙げていわゆる「くるくるぱー」の動作をしたことが直接の原因となったものと認めるのが相当である。

以上、検討の結果、両当事者の供述のうち、その供述が一致する部分については当該事実をそのまま認定すべきであるが、両当事者の供述が食い違う点については、乙山巡査部長の供述には不自然、不合理な点が多々認められ、これをたやすく信用できないのに対し、被告人の供述は当時の状況に則した場合、自然かつ合理的なものと認められるので、ほぼ被告人の供述どおりの事実を認定するのが相当である。

二  公務執行の適法性について

前記の認定事実を前提にして、乙山巡査部長によってなされた公務の執行の適法性につき判断する。

乙山巡査部長は、平成元年四月二三日午後一時三五分ころから西之表派出所管内の納曽部落へ巡回連絡に出発し、その過程においてペンション「甲野」を訪れた旨供述しており、その供述を疑うべき事情は存在しないから、この事実をそのまま認定すべきところ、同巡査部長が右ペンションで被告人に対し巡回連絡の趣旨等を説明することが警察官としての公務の執行にあたることは明らかである。

しかしながら、前記認定事実によれば、乙山巡査部長は右ペンションで被告人に会った際、被告人から「警察は来なくていい。帰ってくれ。」などと言われて言い争いになり、同所を去る時に「馬鹿と話をしても駄目だ。」と述べたうえ、右手を頭の上に持っていって結んだ拳を上に向かって何度も開くいわゆる「くるくるぱー」の恰好をして、被告人を愚弄する態度を示したのであるから、その時点において、仮に同巡査部長の公務の執行が継続していたと認められる場合であっても、その公務の執行は違法なものというべきである。

したがって、当該違法な公務の執行をなす乙山巡査部長に対し、被告人が角材を持ち上げて振り上げた行為は公務執行妨害罪を構成せず、かつ、暴行罪を構成するほどの違法性を備えているとも認められないので、罪とはならないといわなければならない。

その後も乙山巡査部長は、被告人に対し「手招き」もしくはこれに類似する行為をなして被告人を刺激し、かつ被告人のこめかみに拳銃を突きつけ、更に再度「くるくるぱー」の恰好をして被告人を愚弄する態度を示したのであるから、同巡査部長の公務の執行がその時点においてもなお継続していたと仮定しても、その公務の執行は違法なものというべきところ、被告人がこれに対し、モップを手にして暴言を吐きながら同巡査部長に近づき、同巡査部長の右違法な行為に対応して同巡査部長の胸を押したり、同巡査部長に対し石を投げた行為は、いささか不穏当なものであるとしても同様に公務執行妨害罪を構成せず、かつ、独立して暴行、脅迫罪の成立を認めるべき違法性を備えているとはいいえないので、これらも罪とはならないというべきである。

三  結論

以上によれば、被告人の本件行為は、公務執行妨害罪を構成せず、かつ、これとは別に暴行、脅迫罪を構成するものでもないから、結局罪とはならないものとして、刑事訴訟法三三六条前段により、被告人に対し無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 法常 格)

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